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公開日:2012年12月27日

世界に通用する製品開発で日本のものづくりの復活に役立ちたい(株式会社エルム・社長 宮原 隆和氏) 月刊「ニュートップL.」 2012年11月号

編集部

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鹿児島県南さつま市のエルムは、自動光ディスク修復装置で世界市場の9割以上を占める。独自の電子技術で大企業に劣らない存在感を示す同社の宮原隆和社長が、ものづくり企業としての気概と矜持を語る。

株式会社エルム社長 宮原隆和氏よく知られるように、CDやDVDなどの光ディスクは全厚約1.2ミリと薄いが、データの記録層やレーザー光を反射する反射層、ポリカーボネート製の保護層など、複数の層を重ね合わせた構造になっている。表面の保護層に傷がついても、記録層まで達しなければ、修復は可能。表面を研磨することで修復する装置が、レンタル店や中古ディスク流通業者、図書館などで活躍している。

エルムの宮原隆和社長が中心となって開発した光ディスク修復装置は、2001年に発売されて間もなく、この分野で世界市場を席捲(せっけん)した。現在、日欧米の先進国を中心に37か国で使用され、自動修復装置では市場の9割以上を占めるという。

市場から、他社製品をほぼ駆逐してしまった同社製品の特徴は、研磨の正確さと作業時間の早さにある。従来型の製品では、保護層の偏摩耗が大きく、深い傷の場合、光ディスク1枚あたり5回程度しか修復に耐えられなかったが、同社製品では20回程度まで修復が可能。また、同社の最新型装置では複数の光ディスクを同時に修復することができるうえ、深い傷でも、1枚あたり15秒ほどで修復してしまう。

この開発により、同社は地元・鹿児島県内の各賞をはじめ、九州産業技術センター賞最優秀賞やものづくり日本大賞優秀賞など、数々の賞を受賞。鹿児島県加世田市(現南さつま市)という過疎の街にありながら、一躍、世界的企業として注目を集めた。

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ディスク修復装置の頂点に位置する「Eco Super」。15秒に1枚のディスクを修復する世界最高速機で、米英独豪スペインで30台が稼働中▲ディスク修復装置の頂点に位置する「Eco Super」。

15秒に1枚のディスクを修復する世界最高速機で、米英独豪スペインで30台が稼働中
開発のきっかけは、ディスク修復ビジネスのフランチャイズ展開を考えている方からのご依頼でした。従来の修復装置は操作に専門家を必要としていたので、アルバイトの学生でも使えるほど操作が簡単で、しかも高速に処理できる機械がほしい、というお話だったんです。

早速、そのニーズについて社内でいろいろ検討してみると、私どもの技術力を活かして工夫すれば、なんとかなりそうだという見込みが立ちました。市場も有望です。そのころはまだビデオテープがレンタル店の主役でしたが、近い将来、それがDVDに置き換わるのは確実な状況だったんですね。

DVDがレンタル店の主役になれば、間違いなく、傷を修復する装置が必要になります。そのとき、従来の修復装置より性能がよくて使いやすいものを送り出せれば、私どもが市場をリードすることだってできる。世界的に見ても、市場規模はせいぜい数十億円程度ですから、十分に対応できると考えたんです。そのあたりを冷静に判断できたことが、結果として、市場からのありがたい評価につながったのではないかと思っています。

というのも、実は以前、市場を見誤ったことで痛い目にあっているんです。93年に開発した「よせ太郎」というゴルフ練習機なんですが、私の戦略ミスでほとんど売れなかったんですね。この失敗で、当時の年商に近い額が消えてしまいました。

これは、実際にボールを打つと、それが的に当たる音を分析して飛距離や方向を計算し、モニターにボールの行方が映し出されるというもので、ゴルフ場などで調査を行なうと、大変に好評でした。肯定的なご意見が70%を超えて、ゴルフ雑誌や飛行機の機内誌などにも紹介され、ゴルフ用品メーカーさんもすぐに口座を開いてくれました。

「よい製品」と「売れる製品」の違いを実感した失敗

そのころの国内のゴルフ人口は、だいたい1500万人くらいです。その70%といえば1000万人で、さらにその1%にご購入いただければ、10万台になります。そう見込んで、小売価格を56000円に設定して売り出したんです。ところが、2000台ほどしか売れませんでした。

おそらく、1万台売れれば成り立つように価格を設定していたら、結果は違っていたと思います。でも、市場調査や反響の大きさに惑わされて、ターゲットを見誤ってしまった。いま考えると、お恥ずかしい話ですが、そもそも私は自社についての正確な自己分析すらできていなかったと思います。

この失敗まで、私はよい製品を生み出すことこそ、私ども技術者の使命だと思い込んでいました。もちろん、それはそれで正しくて、いまもその認識は変わっていません。しかしながら、よい製品でさえあれば売れるとは限らない。「よい製品」と「売れる製品」が必ずしも一致しないのは当たり前のことですが、私はこの失敗によって初めて、それを実感させられました。

以来、私はお客様のニーズとか市場規模とか、マーケティング的な要素の重要性を真剣に考えるようになれました。光ディスク修復装置も、その延長線上に誕生したと言えるでしょう。そう考えてみると、「よせ太郎」では高い授業料を支払わされましたが、それに見合うだけの勉強もきちんとさせていただけたような気がします。

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1951年、宮原社長は鹿児島県加世田市(当時)に生まれた。県立加世田高校を卒業後、大阪工業大学電子工学科に進学。74年、同大学を卒業し、そのまま大阪にとどまってコンデンサメーカーの松尾電機に勤務した。だが、都市生活は体質に合わなかったようで、やがて帰郷を考えるようになる。同じく大阪で和泉電気(現IDEC)に勤務していた弟の宮原照昌専務とも意見が一致して、Uターンを模索した。

しかし、第一次産業主体の鹿児島県には電子技術の知識と経験を活かす場は皆無に近かった。帰郷を望みながら他県で働かざるを得ない技術者は少なくないはずで、彼ら同郷の後輩技術者に職場を提供するためにも、宮原社長兄弟は鹿児島での起業を決意する。まず照昌専務が帰郷して、母が経営する縫製工場を手伝いながら、77年にヤオキ電子を創業。80年、松尾電機を退職した宮原社長も帰郷して、ヤオキ電子を前身とするエルムを設立した。

当初は自宅の離れを仕事場に、LED製品の検査装置を開発。県内に製造拠点をもつ大手電気メーカーからの受注に成功し、収益の柱を確立した。一方、82年には気象衛星ひまわりの受像装置を開発。大企業の独壇場だった最先端技術の分野で、技術者集団としての存在感を示した。翌年には初めて黒字に転じ、4000万円の経常利益を計上。その後も独自の開発に取り組み、パソコン用プリンタバッファや日本初のパソコン用熟語変換プログラムなどをヒットさせた。

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私どもでは、これまで毎年のように、様々な製品の開発に挑戦してきました。主なものだけでも、牛肉・豚肉のトレーサビリティシステムや半導体デバイステスタ、気象衛星の画像解析装置、オクラや豆の平ネット包装装置など、多岐にわたります。お客様からご相談をいただくたび、その一つひとつに取り組んできた結果です。

時代の変わり目にチャンスは潜んでいる

ニーズというのは、結局、世の中に存在しなかったもののことなんですね。世の中に「ない」から困ったり、「あればいいな」と思ったりする。ただ、それがなぜ存在しなかったのかといえば、それもきちんと理由があって、そのニーズを解決する技術がなかったり、誰も必要を感じなかったからでしょう。

ところが、技術は日々、進歩します。昨日までは不可能だったことも、今日になれば実現できるかもしれない。また、時代はどんどん流れていきますから、昨日まで必要を感じなかったことも、今日になったら必要を感じるかもしれない。そのとき、以前に誰かから聞いたニーズを想起して、新しい技術と結びつけることができれば、お客様に喜んでいただける製品が生まれると思うんです。

ですから、チャンスはたいてい時代の変わり目に潜んでいます。時代の潮目が変わって、不可能が可能になったり、不要が必要になっていくときこそがチャンスなんですね。そのときに新たな製品を発想できるかどうかは、日常、潜在的なニーズを頭の片隅にとどめているかどうかで決まる。要は、気づくことができるかどうかなんです。画期的な発明とか斬新な新製品も、その種は意外と日常のなかに転がっているものかもしれません。

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高台に建つ新社屋。手前の芝生の地下も社屋の一部で、外気温に影響されにくく配慮されている▲高台に建つ新社屋。手前の芝生の地下も社屋の一部で、外気温に影響されにくく配慮されている2010年、同社は同じ南さつま市内に新社屋を竣工し、翌年初に移転した。東シナ海を望む高台にあり、地下1階、地上2階の延べ床面積は1720平米。面積は旧社屋のほぼ2倍に広がったが、使用電力は約80%に抑えられたという。環境負荷ゼロをめざした本格的な環境配慮型社屋である。
具体的には、屋上や壁面を緑化し、建物には遮熱塗装を実施。窓は、すべて高断熱二重ガラスとした。使用する水は、雨水と地下水を浄化したもので、今後は太陽追尾型ソーラー発電と風力発電の導入により、カーボンニュートラルの達成をめざしている。

また、照明はすべて自社製品のLED「エコノライト」を使用。従来のLEDは調光を苦手としたが、エコノライトは特許を取得した独自のシステムを採用することで微妙な調光も安定的に実現した。もちろん、省エネ効果も大きく、あくまで目安だが、90ワットの白熱電球をエコノライトに変えれば、5年間でタンクローリー40台分に相当する二酸化炭素の削減効果が期待できるという。

ある意味で、この社屋そのものが実験場なんです。環境への負荷をゼロにすることは、そう遠くない未来の日本社会が必要とする理想です。その理想を会社として追求すれば、きっといろんなものが見えてくる。それは、つまり未来のニーズなんですね。理想とは現時点での不可能ですから、そこにこそいろんなチャンスが潜んでいるわけです。ものづくり企業にとって、理想の追求は将来の「メシの種」を探すことでもあるのです。

いま、日本のものづくり企業は大変な試練のときを迎えています。凋落(ちょうらく)の理由はいろいろあるでしょうが、問題点を整理すれば4つに収斂(しゅうれん)されると思います。一つは、「円高」ですね。そして、「税金」の問題です。

新社屋2階の社員食堂。東シナ海が一望でき、天気のよい日には遠く開聞岳も見える▲新社屋2階の社員食堂。東シナ海が一望でき、天気のよい日には遠く開聞岳も見えるたとえば、日本のものづくりにとってライバル関係にある韓国は、あれだけ経済発展しても、ウォンはほとんど上がりませんね。しかも、韓国の事業税は22~23%程度でしょう。一方の日本は42~43%ですから、手元に残るお金に大きな差がついてしまう。それでも、ものづくり企業として世界を相手に勝負するとなると、同じ土俵に上がらなければいけないわけですから、土俵に上がった時点で日本企業はすでに重いハンデを背負っていることになります。

円高も税金も政治レベルの問題ですから、われわれにはどうしようもありません。諸外国より有利な条件を求めるつもりはありませんが、せめて対等に近いフェアな状況を整えないと、日本のものづくり企業の復活は難しいと思います。

一方、企業側にも問題があって、その一つはものづくりに携わる人材の待遇ですね。これは社会全体の問題でもありますが、これまでそういう人材をあまり大事にしてこなかったために、優秀な人材が製造業の現場から逃げてしまいました。そして、若い世代にものづくりの楽しさを伝えてこなかった。微力ながら、大学や高校での講演などを通じて、ものづくりの喜びを伝えてきたつもりですが、社会全体として、もっと魅力ある環境を整えないといけません。 さらに、もう一つの問題は、ものづくりの現場からチャレンジ精神がどんどん失われていることです。リスクを回避することに目が奪われて、新しいことに挑戦するモチベーションが衰えています。前例がないからこそ、そこにチャンスがあるという思考を取り戻さないと、今後も凋落は止まらないと思います。

もちろん、私個人やエルムにできることなど限られていますが、日本のものづくりのために少しでも役立つ存在でありたい。小さな会社ですが、これからもどんどん海外で勝負していきます。

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